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南海トラフ地震いつ起こるのか

2023年1月14日

【追記】
2月6日に発生した、トルコ、シリアの大地震。すでに7500人超の死者を出しています。
地震が起こる前に、オランダの研究者から以下のツイートがありました。

2月3日。遅かれ早かれ、この地域(トルコ中南部、ヨルダン、シリア、レバノン)ではM7.5 クラスの地震が起こるでしょう。
そして2月6日に実際に大地震が直後に発生したことになります。

過去に起きた地震の発生時期より推測出来たとのことです。
このことから、過去に大きな南海トラフ地震も起こる可能性が高いと考えます。

そもそも南海トラフ地震は歴史を遡ると定期的に(100年~150年)発生している大地震だからです。
近年では1944年の昭和東南海地震とその2年後に発生した1946年の昭和南海地震。その前は1854年の安政東海地震とその翌日に起きた安政南海地震があります。それぞれ大きな地震が連続で発生しています。

前回と同じ間隔であれば2034年に南海トラフ地震が発生。さらに翌日~2年後に同程度の大きな地震が発生することになります。この間隔が開けば開くほど大きな地震につながるかもしれません。

 

なぜ地震が起こるのか

日本周辺には、海のプレートである太平洋プレートフィリピン海プレート陸のプレート(ユーラシアプレート、北米プレート)があり、太平洋プレートとフィリピン海プレートが1年あたり数cmの速度で陸のプレート方向の下に沈み込んでいます。

その際に海のプレートが沈み込むときに陸のプレートを地下へ引きずり込んでいきます。陸のプレートがそれに耐えられなくなると、プレートが跳ね上がる時に起こる揺れがプレート境界による地震です。
その現象が繰り返し起こることから「南海トラフ地震が近々起こりそう」と危惧しているのです。

  1. 太平洋プレートとフィリピン海プレートが陸のプレートを押し込んでいる。
  2. それに耐えられなくなるとプレートが跳ね上がり地震が発生する
  3. この現象は繰り返し発生する

南海トラフで起こり得る震度予想

南海トラフ地震が発した場合の震度予想です。
(実際には東側、西側、内陸側、沖側等それぞれ発生箇所で震度が変わってきます)

■南海トラフ巨大地震が発生した場合の想定する震度分布

出典:南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ

南海トラフ地震が発生すると、九州から関東まで幅広く影響がでるのがわかります。また地震だけではなく、津波にも気をつけなければなりません。過去幾多の方が津波で亡くなられています。

過去に起きた南海トラフ地震

記録に残っている南海トラフ地震についてまとめています。

684年 白鳳(南海)地震(はくほうじしん)

【マグニチュード】
8~9(684年11月29日発生)

【震源域】
足摺岬沖から潮岬沖にかけての領域(御前崎沖に及ぶ可能性もある)

【震害】
山崩れ、液状化、官舎、百姓の倉屋、寺塔・神社の倒壊が多く人畜の死傷も多数。

【津波】
津波が押し寄せ、土佐では約12km2が海中に沈み運調船が多数沈没した。

887年 仁和(南海)地震(にんなじしん)

【マグニチュード】
8~9(887年8月26日 )

【震源域】
足摺岬沖から御前崎沖にかけての領域

【震害】
京都で諸司の舎屋や民家の多くが倒壊し圧死者多数。五幾七道諸国で官舎が多く破損した。

【津波】
津波が沿岸を襲い溺死者多数。特に摂津の国の浪害が最大である。

1096年 永長(東海)地震 と 1099年 康和(南海)地震

■永長(東海)地震(えいちょうじしん)

【マグニチュード】
M8.0~8.5(1096年12月17日)

【震源域】
潮岬沖から御前崎沖にかけての領域(駿河湾に及ぶ可能性ある)

【震害】
太極殿小破、東大寺の巨鐘が落下。薬師寺の回廊が倒壊、東寺塔で塔など破損した。

【津波】
津波が伊勢、駿河を襲った。駿河で神仏舎屋・百姓の流失400余。伊勢阿之津でも津波の被害があった。

■康和(南海)地震(こうわじしん)(永長地震から2年2ヶ月後

【マグニチュード】
M8.0~8.3(1099年2月22日)

【震源域】
足摺岬沖から潮岬沖にかけての領域

【震害】
奈良の興福寺の大門、回廊が転倒、塔が破損、西金堂が少破した。

【津波】
津波に関する記事は発見されていない。

1361年 正平地震(正平東海地震、正平南海地震)

【マグニチュード】
M8.4(1361年8月3日)

【震源域】
足摺岬沖から御前崎沖にかけての領域

【震害】
摂津四天王寺の金堂転倒、5人圧死。山城東寺の講堂が傾く。興福寺金堂・南円堂破損。奈良薬師寺金堂の2階が傾き、招提寺の九輪大破し廻廊など倒れた。熊野山の山路並びに山河の破損が多かった。

【津波】
摂津、阿波、土佐で津波の被害があった。特に、阿波の雪湊(由岐)全滅。家屋流失1,700、死者60以上。難波浦では数百町潮が干いて、約1時間後に津波が押し寄せた。

1498年 明応地震(明応東海地震)

【マグニチュード】
M8.5~8.6(1498年9月20日)

【震源域】
潮岬沖から駿河湾にかけての領域(和歌山市での津波記録より、震源域は南海地域にも及ぶ可能性が高い)

【震害】
紀伊から房総にかけての海岸と甲斐で地震動が大きく、熊野本宮の社殿が倒れ、那智の防舎も崩れた。

【津波】
津波は紀伊から房総の海岸を襲い、伊勢大湊では家屋流失1,000、溺死5,000など。西伊豆仁科郷では海岸から18-19町の内陸に達したとの記録もある。由比ヶ浜では波が大仏殿千度壇に達した。千葉湊の誕生寺が流没。静岡県志太郡で流死26,000(260の誤りとの説もある)、伊勢志摩で溺死10,000。

1605年 慶長地震

【マグニチュード】
M7.9(1605年2月3日 )

【震源域】
足摺岬沖から御前崎沖にかけての領域(津波地震であることからトラフ軸に近い浅部が主である可能性がある。南方の遠地津波の可能性も指摘されている)

【震害】
記録なし。

【津波】
犬吠埼から九州に至る太平洋岸に押し寄せ、八丈島で谷ヶ里の家は残らず流失した。伊豆仁科郷では海岸から1.3~1.4kmまで波が達した。浜名湖近くの橋本では戸数100のうち80戸流され、死者が多く、船が山際まで打ち上げられた。伊勢では地震後数町沖まで潮が引き、約2時間後に津波が押し寄せた。阿波の鞆浦では波高約30m、死者100余人。甲浦、室戸岬付近、土佐清水市の三崎等で死者多数。九州では鹿児島湾内に津波が押し寄せた。

1707年 宝永地震

【マグニチュード】
M8.6(1707年10月28日)

【震源域】
遠州灘沖合から高知県の沖合までの広い範囲(津波の被害が大きいことから、浅部も震源域に含まれる可能性がある。波源域は、さらに南海トラフ軸寄りも含まれる可能性がある)

【震害】
家屋倒壊地域は、駿河中央部・甲斐西部・信濃・東海道・美濃・紀伊・近江・畿内・播磨・大聖寺・富山、及び中国・四国・九州に及んだ。東海道・伊勢湾沿岸・紀伊半島でもっとも大きかった。

【津波】
伊豆半島から九州に至る太平洋沿岸および大阪湾・播磨・伊予・防長を襲った。土佐で被害が最大で、流失家屋11,167、死者1,844など。

【地殻変動等】
高知の市街地の20k㎡が最大2m沈降した。室戸岬1.5m(室津1.8m)、串本1.2m、御前崎付近1~2mの隆起した。

【地震の前後にあった事象】
1707年宝永地震の4年前には1703年12月31日に関東でM8.1程度の地震(元禄地震)が発生した。また、宝永地震の約1ケ月半後の1707年12月16日に富士山が噴火した。道後温泉は145日止まった。

1854年 安政東海地震 と 1854年 安政南海地震

■1854年 安政東海地震

【マグニチュード】
M8.4(:1854年12月23日)

【震源域】
紀伊半島東部の沖(熊野灘)から駿河湾にかけての領域

【震害】
震害のもっとも大きかったのは天竜川河口に至る沿岸地域。甲府、松本、福井でも被害があった。

【津波】
房総から土佐の沿岸を襲った。伊豆下田・遠州灘・伊勢志摩。熊野灘沿岸での被害が目立った。江戸でも山谷
堀の水位が1mくらい高くなった。下田では地震後約1時間で津波が襲来し840軒が流失した。波高は9m。柿崎では6.7m、舞阪で4.9m、榛原で5.4m、甲賀で10m、鳥羽で4.5m、村方では6~9m。

【地殻変動等】
清水から御前崎付近まで1~2m隆起、浜名湖北岸の気賀では2,800石の地が汐下となった。三河幡豆郡吉田などの村々も沈降した。

■1854年 安政南海地震(安政東海地震から翌日

【マグニチュード】
M8.4(1854年12月24日)

【震源域】
紀伊半島沖から四国沖にかけての領域

【震害】
紀伊半島、四国沿岸では震害と津波の被害の区別がつきにくい。紀伊田辺領、小松島、土佐、日向、宇和島、出雲などで
被害があった。

【津波】
波高は串本で15m、古座で9m、牟岐で9m、宍喰で6m等土佐領で流失3200余、推定波高5~8m、大阪湾北部で推定波高2.5m。

【地殻変動等】
高知市付近は約1m沈降し浸水。上ノ加江付近で1.5m、甲ノ浦1.2m沈降、室戸岬で1.2m隆起

1944年 昭和東南海地震 と 1946年 昭和南海地震

■1944年 昭和東南海地震

【マグニチュード】
M7.9(:1944年12月7日)

【震源域】
紀伊半島東部の沖(熊野灘)から遠州灘にかけての領域

【震害】
静岡、愛知、岐阜、三重の各県に多くの被害が出た。死者998、住家全壊約26,000、流失約3,000など被害は沖積地、埋立地で大きかった。

【津波】
伊豆半島から紀伊半島の間を襲った。波高は熊野灘沿岸で6~8m、伊勢湾・渥美湾内は1m内外、尾鷲で8~10m、新鹿で8.4mなど。津波の被害は三重県・和歌山県に集中した。

【地殻変動等】
紀伊半島東部の海岸は30~40cm沈降した。

■1946年 昭和南海地震(昭和東南海地震から2年後

【マグニチュード】
M8.0(1946年12月21日)

【震源域】
紀伊半島南西部から四国の太平洋沿岸を含む領域

【震害】
被害は中部地方から九州まで及んだ。死者1,330、全壊家屋約11,500、流失約1,450など。

【津波】
房総半島から九州までの広い範囲を津波が襲った。被害は地震によるものより大きかった。波高は紀伊の南端の袋で6.9m、三重・徳島・高知の沿岸で4~6m。

【地殻変動等】
高知市街地等では地殻変動(沈降)による被害が発生した。室戸岬は1.3m、潮岬は0.7m、足摺岬は0.6m隆起。高知・須崎では1.2mの沈降。高知市・須崎・宿毛付近でそれぞれ9.3、3.0、3.0km2に海水が入った。室戸岬の隆起はその後徐々に回復しつつある。

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